管理人の吃音歴

私の吃音暦を書きました。ご興味のある方はご覧ください。

発吃

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4~5歳前後に発吃。幼稚園に通っていたときから、父から「落ち着いてゆっくり話しなさい」と言われていたのを覚えています。ただし、私自身は吃音という自覚は全くありませんでした。

 

小学生の頃

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連発だったのを少し覚えています。でも、友人から指摘されたり、笑われたりは一度もありませんでした。周りの人たちに恵まれていたのだと思ってます。しかし、5~6年生くらいになってから、国語の時間の本読みで「どもらないで言えるかな?」と不安になることがありました。でも、総じて吃音で困ることはほぼありませんでした。これも、周りの友人たちに恵まれていたのだと思います。

 

中学生の頃

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小学校の頃は連発でしたが、中学になると連発はなくなりましたが、難発がひどくなりました。特に、出席の返事が一番の難関でした。「はい」というたったの2文字が言えずに・・・すっごく悩んでました。
私は、中学の頃バスケットボール部のキャプテンしてました。難発でしたから、言いにくいのは最初だけでしたので。みんなに指示出したりは、別にそこまで吃音で苦労しなかったです。しかし、後輩から「先輩は、なんでソワソワしながら・・話すんですか?」みたいなことを言われたことはありますが。でも、自分では、ソワソワしているつもりはありませんでした。すでに何かしらの随伴症状?かな、と今では思っています。
当時は空手も習ってました。私は結構うまかったんで(自分で言ってしまい・・恐縮です。笑)。皆の前で号令かけたりする方でした。そのときはどもらなかったんですが・・・最後に、皆一列に正座して座って、名前が呼ばれるんです。その出席の返事が、やっぱり言えませんでした。号令はかけられるのに・・・出席の返事が言えないって、変ですよね。「し~ん」としてて・・「ここでどもって声が出なかったら・・変に思われる・・。言えるかな?返事でどもったら・・どうしよう・・」とか、いろいろ考えて、返事を言うのが、いつも不安でした。

 

高校生の頃

高校1年、2年のころ、なぜか、出席の返事が言えました。(環境が変わったからかな、ちょっとわかりません)でも、高校3年になってから、また出席の返事が言えなくなってきました。いつもドキドキしていたのを覚えてます。
それと、部活はハンドボールでしたが、高校3年になってから、試合の最初で、背番号と名前を審判が確認するんですが、順番に名前を言うんですね。最初のころはすんなり言えたんですが・・・だんだんとそれも言えなくなっていきました。友人から「なんで、自分の名前忘れるんだよ!」って言われてました。

 

大学生の頃

大学生の頃もやっぱり出席の返事ですね。一番苦労したのは。それと、ゼミに入るとき面接があったんですが、その面接で・・・名前が言えなくって・・・首を前後に動かしながら(随伴症状)やっと名前が出て。集団面接だったんですが・・・とっても恥ずかしかったです。
それと・・バイト。ファミレスのキッチンでしたが、まず、あいさつで・・なかなか言えなくって。いつも苦労してました。地面を足で軽く蹴りながら、声を出すって感じでいつもしてました。あと、バイト遅れるとき、電話しますよね。それも苦労してました。